僕が絵描きになろうと思ったのは14才のときで、ちょうど自分の村が合併でなくなる直前だった。

何もない小さな田舎だけれど僕は村の自然と村の人たちが好きだ。だから村の名前がなくなるということは自分の大切なものがどこかへ消えてしまいそうで悲しかった。だから村が消えたとき、僕の描く下手な絵は村の魂の欠片でありたいと願った。

あれから10年が経ったけれど、最近あの頃の気持ちをよく思い出す。村への気持ち、自然への気持ち、人への気持ち。自然は人の意思に関係なく時にやさしく、時にひどく厳しい。僕たちの祖先はこの厳しく豊かな風土の中で生まれ死んで往った。しかし生活が便利になった今の僕たちはすべてのものが人の手で叶えられると勘違いしていたのかも知れない。人は再び、自然の大きさ、家族や共同体の絆の大切さを知ったのだと思う。

今回展示する絵はすべて花の絵である。父が飼っていた大和郡山の大きな金魚が死んだとき、僕たちは畑の隅にそれを埋めた。春が来て金魚のお墓に小さな花が咲いた。すべてのものはいつか必ず去って往く。しかしその暗闇から再び生まれる小さなひかりもあるということをこのとき僕は知った気がする。奈良は歴史的にも古い街である。伝統的な町家空間と僕の絵との繋がりがひとつの「再生の花」を咲かせてくれれば嬉しい。



2011年秋、Düsseldorfのアトリエにて 岩名泰岳